生産地は、福岡県朝倉市東峰村(とうほうむら)の北部に位置する小石原地区。
「飛び鉋」「刷毛目」「櫛目」「流し掛け」などの技法で表現される独特の紋様が特徴で、素朴で温かみのある風合いが魅力です。
昭和50年(1975)には、陶磁器では日本初となる「伝統的工芸品」に指定されました。
ルーツは高取焼
今から約400年前の1592年。黒田長政は、豊臣秀吉の命で朝鮮出兵した時に陶工・八山を日本に連れて帰りました。
1606年。筑前国藩主になった長政は、八山 (日本名:高取八蔵重貞) に高取山の麗に窯を築かせます。これが「髙取焼」の始まり。
高取焼は黒田藩の御用窯として栄えましたが、廃藩置県にともない御用窯としての歴史を終えます。しかし東峰村には現在も、髙取焼の技法を継承する窯元が数戸あります。
中野焼と高取焼の交流
1669年。八山の孫、八之丞貞正が小石原村中野に移り住み窯を開きます。最初はすり鉢や大型のかめ類を焼いていました。
1682年。黒田藩三代藩主・光之が招いた伊万里の陶工と共に、大明(中国)の製法にならい磁器を作るようになります。当時、日常に使う食器は陶器から磁器製に変わり始めていました。黒田藩もそれにともない磁器の量産化をめざしたわけです。
この磁器は、土地の名前をとって「中野焼」と呼ばれました。
しかし、磁器生産に小石原の土が向かなかったのか長く続かず、享保年間の末(1729年頃)には磁器の生産ができなくなります。
中野焼は一時途絶えてしまいますが、平行して続けられていた高取焼に習い、その後は民用の陶器を作るようになりました。
民藝運動と万国博覧会
中野焼が「小石原焼」とよばれるようになったのは昭和になってから。その名が広く知られるようになったきっかけが民藝運動でした。
大正後期に民芸運動思想家 柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司などによって提唱された民藝運動。運動が活発化する中で小石原焼は「用の美」を兼ね備えた器として再発見され、民芸陶器として広く一般に知られるようになります。
そして昭和33年(1958)ブリュッセルで開かれた万国博覧会でグランプリ受賞。昭和50年(1975)には陶磁器として初めて伝統的工芸品に指定されました。伝統を守りながらも進化する
小石原焼の産地は福岡県朝倉市東峰村。小石原地区には、約50軒の窯元があります。
特徴として挙げた「刷毛目」「飛び鉋」「櫛目」といった技法を伝統として守り続ける窯元さんもあれば、伝統を受け継ぎながらも、今のライフスタイルに合ったモダンなデザインや、独自の表現を取り入れた作品をつくる若い作家さんもいます。
伝統を守りながらも柔軟な発想で、新しい小石原焼が日々生まれています。
小石原焼きを買う
小石原焼の産地は朝倉市東峰村。現地で窯元めぐりをして小石原焼を買うのも楽しいですが、ネットで購入することも出来ますし、福岡市内でも小石原焼を置いている店はあります。
ネットショップで買う
小石原焼ほしいけど、わざわざ福岡まで行くのは… という方は、ネットショップがおすすめ。
小石原焼は誰にでも受け入れられるシンプルなデザインなので、自分用はもちろんプレゼントにも喜ばれると思います。
たくさんあって選べないという方には、『森山實山窯・ 森山寛二郎』さんの器をオススメします。
寛二郎さんは小石原焼窯元の中でも注目されている若手陶芸家。伝統を受け継ぎながらも現代的な器を多く作っています。飛び鉋の上から化粧がけしたグレーの器は美しくて本当におすすめですよ。
福岡市内で小石原焼を買う
福岡県3泊4日の旅 では、福岡市内で小石原焼が買える店を何店舗か回りました。その時の記事をまとめていますので、よろしければ参考にして下さい。
【福岡・土産】若い陶芸家4名の器が買える 「小石原焼wanya」天神ギャラリー 【福岡・土産】市内で小石原焼きが買える店「やまびこ」 【福岡・天神】流行やトレンドよりも素敵な定番を GOUACHE FUKUOKA 【福岡・天神】日常を心豊かに楽しむ道具や雑貨が揃う店 B・B・B POTTERS福岡県に旅行に行く予定のある方は、ぜひ福岡市内で小石原焼が買える店に行ってみて下さい。素敵な器に出会うことができると思います。
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